斎藤茂吉
さいとうもきち
歌人・精神科医。1913年刊行の歌集『赤光』は近代短歌の最高峰と称され、文壇に大きな影響を与えた。精神科医としても著名で、芥川龍之介・永井荷風・宇野浩二らを診察。芥川が自殺に使用した睡眠薬を処方していたことでも知られる。息子に芥川賞作家・北杜夫(本名:斎藤宗吉)がいる。2028年度前期放送のNHK連続テレビ小説「ほんのモキチ」(主演:河合優実、脚本:宮藤官九郎)のモデルとなり、妻・斎藤輝子との「朝ドラ史上最も不仲な夫婦」の物語が描かれる。
年表、功績
活躍の軌跡。『人生の残り時間』にも注目してください。意外な発見があります。
| 年月日 | 年齢(人生の残り時間) | 内容 |
|---|---|---|
| 1913年 | 31歳(あと40年) | 第一歌集『赤光』を刊行。「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」など珠玉の短歌が収録され、近代短歌の最高峰と称される |
| 1921年 | 39歳(あと32年) | 精神医学の研究のためウィーン・ミュンヘンへ渡欧。1924年に帰国する |
| 1927年07月24日 | 45歳(あと25年) | 芥川龍之介、睡眠薬の服用に自殺。睡眠薬を処方したのは斎藤茂吉であった |
名作
斎藤茂吉が携わった、大正史に残る名作を紹介します。
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エピソード・逸話
知られざる興味深いエピソードの数々。
- 妻・斎藤輝子との不仲
- 2028年度前期のNHK朝ドラ「ほんのモキチ」でも「朝ドラ史上最も不仲な夫婦」として描かれるほど、妻・斎藤輝子との関係は複雑だった。輝子は大病院院長の娘として自由奔放な生き方を貫き、晩年は南極やエベレストへの冒険旅行もこなした行動的な人物。一方の茂吉は短歌と医業に没頭する実直な性格で、二人の生き方は根本的に相容れなかった。
- 28歳年下の弟子・永井ふさ子への恋
- 歌の弟子であった永井ふさ子は茂吉より28歳年下。師弟の枠を超えた深い愛情を抱き、数多くの恋文を送り続けた。茂吉の名言「清く正しきものは常に勝ちます」も、ふさ子に宛てた恋文の一節である。妻帯者でありながらのこの激しい恋は、茂吉の内面の葛藤をよく表している。
- 芥川龍之介の自殺と処方した睡眠薬
- 1927年7月24日、文豪・芥川龍之介が睡眠薬の服用により自殺した。その睡眠薬を処方していたのは茂吉であった。「ぼんやりした不安」という言葉を残した芥川の死に、茂吉は深い衝撃を受けたと後に述懐している。精神科医として患者の死に直面した茂吉の苦悩は、晩年の作品にも影を落としたとされる。
名言・最後の言葉
斎藤茂吉が語ったといわれる言葉。人柄や当時の心情が見えてきます。
- 「清く正しきものは常に勝ちます」
- 永井ふさ子に宛てた恋文の一節。
- 「僕は老残の身をいたはりつつ、せい一ぱいの為事をして、この世を去りませう」
- 永井ふさ子に宛てた恋文の一節。
子孫・子ども
偉人の血を受け継いだ方々を紹介します
- 北杜夫(芥川賞作家・精神科医)
- 長男。本名は斎藤宗吉(さいとうむねきち)、1927年生まれ・2011年没。父・茂吉と同じ精神科医の道を歩みながら、作家としても活躍。1960年、小説「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞。ユーモアあふれるエッセイ集「どくとるマンボウ航海記」シリーズで広く知られる。















